2021年4月30日金曜日

緊急事態宣言下の列車運転計画について(1)

  本邦では3度目となる緊急事態宣言(令和3年4月25日から同5月11日まで)の発出に起因して、首都圏を走る列車に対する減便要請が行われた。これを受け、主としてJR東日本の朝夕時間帯を中心に、4月30日(金)、5月6日(木)、5月7日(金)において列車の削減が行われた。対象となった線区は、他の路線との直通運転の比較的少ない路線に集中しているが、このうち山手線について、間引き運転の前後で比較できる形で、ダイヤグラム形式で整理したのが図1である。

図1:令和3年4月30日山手線列車運転計画図(抜粋)

 この図を見る限り、「朝ラッシュ終了後に大崎に入庫する運用を集中的に運休させている」ことが伺える。筆者がこのダイヤを初めて見た際の感想は「さもありなん」といったところだが、よくよく考えてみると、等間隔で運転している列車を1本間引くのであれば、乗車率を半分以下に抑えない限り、その1本後の列車が混雑するのは自明である。いくら連休中日で乗車率が比較的低いとはいえ、乗車率が半分にまでは落ちない、ということであれば、本来であれば間引いた直前のスジを後ろ倒しすべきである。とはいえ、今回の急な要請を受け、急に間引き運転を行う以上は、そこまで入念に準備できなかった、というのが実情ではなかろうか。

 さて、いざ4月30日の朝7時を迎えると、すでに間引きとは関係ない理由で遅延していた。池袋駅付近で埼京線に起因する防護無線を拾ったためと聞いているが、この影響で列車間隔はラッシュが終わるまで歪なままであった。図2は、https://nkth.info/traffic_info/から画像形式で抜粋した、同日の山手線の運転実績である。

図2:令和3年4月30日山手線運転実績

  筆者は概ね午前8時ごろまでの間、現地で様子を見ていたので、JR東日本アプリの「混雑情報」を織り込んだ形で(図3のように、同一時間帯のスクリーンショットをかき集める形で)ダイヤ図に再度整理した。
図3:JR東日本アプリのスクリーンショット(7:19頃)


図4: 令和3年4月30日の山手線運転実績(抜粋)

 着色した個所は、その時間帯の混雑率を表している。概ね、列車間隔の開いた後のスジが混む傾向にあることは、寺田寅彦氏によって大正時代から指摘されている事象である。
 間引き運転の影響を直接受けているのは、この図で言うと内回りの00G列車であり、内回りの駒込駅付近で混雑が観測されている。どちらかと言うと、普段と大して変わらない常磐線のダイヤよりも、平日ダイヤを土休日ダイヤに変更した日暮里・舎人ライナーの影響で、混雑する列車がやたらと固まったことも一因として考えられる(確証は無いが)。
 一方で、池袋駅付近で防護無線による遅延が生じた際、列車間隔が歪になっている。幸か不幸か運転再開は比較的早く、10分程度の抑止で済んだようであるが、その後の運転整理のやり方の影響で、運転間隔の平準化がうまくいっていない。
 外回りは渋谷付近で間隔調整を行っているにもかかわらず、大崎駅で始発列車を割り込ませる順序を変えなかった(大崎駅で、定時に出せる始発列車(例えば35G、定刻7:15)を、遅れた定期列車(17G、定刻7:12、この日は9分延)が来るまで出せなかった)影響で、列車間隔に濃淡が生じている。01G~17Gは間隔が疎で、所定の順序を守って17Gを待ってから始発列車を割り込ませた21Gまでは密である。21Gが大崎駅をやっと定時に出た後、その1本後にあるはずの始発列車(41G)が運休していたのですぐ後ろの07Gまでは間隔が空いてしまっている。なお、07Gは、8時ごろ2度目に高田馬場駅付近で二度目の防護無線が発報された際に付近にいた列車である。列車間隔の歪さが、二度目の防護無線発報を誘発した可能性は否定できない。
 なお同様の事象は内回りでも生じている。池袋始発を定期列車より先に出せなかったのは、運転見合わせに直接巻き込まれている以上ある程度致し方ないのだが、大崎始発(26G、定刻7:11始発)が、その前のスジ(66G、定刻7:08発、当日は8分延で7:16発)が出るまで発車出来なかった影響で、02Gと14Gの間に大きな隙間が空いてしまっている。これだけ大きな隙間が空いていて、よく何事も起こらなかったものだと思う。
 筆者がこのスジを打ち込んでいて驚いたのは、10年ほど前は1周60分、ラッシュ時でも62.5分だった山手線が、いまやラッシュ時で一周67分近く要していることである。しかし、この日のスジは全体的に定時より立っていて、半周で2分程度詰めているものも存在する。要するに、4月30日は全体的に駅の停車時間が短く、それだけ普段より乗客が少なかったことを示唆しているように見受けられる。
 
 長々と書いたが、今日の山手線の状況を見る限り、「間引きそのものと言うよりは、1度目の防護無線発報後の列車間隔調整に難儀し、結果的に混雑を誘発した」「大崎・池袋始発の列車を、遅れた定期列車よりも先に出すことが出来ていないことが一因である」ように見受けられる。

 緊急事態宣言下の列車運転計画やその実績は、あまりに急な対応を求められるため、10年以上経ってから当時の状況を知るのは困難である。こうした背景から、今後も「可能な限り」という但し書きは付くが、状況を記録するよう努めたいと考えている。