2021年12月6日月曜日

函館線(函館・小樽間)について(2)

  前回記事では、平成12年に有珠山が噴火した際、函館本線長万部~小樽間(いわゆる山線)において優等列車や貨物列車を迂回運転した際の状況に触れつつ、現時点で「全線を鉄路存続させるのは極めて困難な状況である」という形でまとめた。今回は、北海道庁のホームページ上の協議資料を題材に、この区間をバス代行輸送及び第三セクター鉄道に転換する場合の必要経費について記述する。全線をバス代行輸送する方が経費及び赤字額をを大幅に縮小できる、という結果がすでに明らかになっていることから、本稿ではまずその具体的な中身について記述する。その上で、これらの資料に記載のない「鉄道の札幌方面への直通可能性と経費について」「バスで通学輸送を行う上での必要キャパシティについて」記述することで、新たな方向性での議論を提起することを目指す。

  まずは、第10回後志ブロック会議において示された資料のうち、第三セクター鉄道及びバス転換後それぞれの、初期投資や年間の必要経費について述べる。

図1 第三セクター鉄道及びバス転換時の収支検討状況

 図1は、ブロック会議の資料のうち「資料1-2_第三セクター鉄道運行の収支予測について」及び「資料1-3_バス運行の収支予測について」について抜き書きしたものである。長万部~小樽を全区間バス転換した場合の年あたり経費3億6700万円に対し、余市~小樽間を第三セクター鉄道に転換した場合の年あたり人件費4~5億円であり、もはや比較にならないことが伺える(資料の別のページ曰く、全区間鉄道の場合の人件費は12~13億円である)。このような資料が世に出れば、「鉄道の運行経費が(人件費だけで)バスの4~5倍オーダーでかかる理由は何か、そもそも内訳はどうなっているのか」という意見が出るのも致し方なかろう。この資料の「見直し」項目は、そのような意見を反映して作成されたものと思われる。両者を見比べると、余市~小樽を第三セクター鉄道に転換する場合、バス転換する場合に比べてトータル収入が0.5億円~1億円上昇することを見込めるが、運行経費の増額はとてもカバーできない、という結果も見て取れる。今後の議論は、沿線自治体が応分の費用を負担できるかどうかに集約され、一般会計ベースで余市町が88億円、小樽市が562億円という予算規模のオーダーの中、年間4~5億円程度と想定される赤字額や、第三セクター鉄道に転換するための40~50億円と想定される初期投資額をどう捻出し、住民の理解を得ていくかが課題となるだろう。

 と、ここまで書くだけだと、全線バス転換という案に対し、第三セクター鉄道が有利な点が何一つ打ち出せていないように見える。そこまでして鉄道を残す案には明確な理由と正当性が要るはずである。筆者は、その理由として考えられるものを以下の3つに集約することにした。

① 札幌や新千歳空港といった大需要地に対する利便性、速達性

② 通勤通学時間帯の需要が大きく、バスが輸送力不足に陥る懸念がある

③ 鉄道の定期券(特に、通学)の割引率の高さ(≒安さ)

 本稿では、現況の後志ブロック会議において、①の論点、特に札幌方面への直通列車の設定に係る費用及び具体的な中身に関して記載された資料が見当たらない状況を踏まえ、より具体的な内容に踏み込んで記載することを試みる。

 まず、余市駅の立地特性であるが、小樽市中心部から約20km、札幌市中心部から約50km、新千歳空港から約100kmであり、生活拠点の意味でも道外からの観光の意味でも、他の年に比べると立地条件に恵まれているという印象を受ける。鉄道での所要時間であるが、ニセコ駅と新千歳空港駅との間で過去に運転されていた臨時列車(ニセコスキーエクスプレス)の一部が余市駅に停車しているが、当時の時刻表(例えば平成9年度冬季)だと、余市~小樽が約20分、小樽~札幌が約30分、札幌~新千歳空港が約40分で結ばれている。札幌駅での停車時間等を含めても、札幌まで1時間弱、新千歳空港まで約1時間40分というのは現在から考えても遜色ない速さである。本記事では、鉄道の直通列車は上記の列車を基準に記載することにする。一方で、新千歳空港までは高速道路で1時間半程度である上、札幌市内の一般道の渋滞の影響を比較的受けにくい。鉄道の優位性があるかと言うと何とも言えず、単に空港から小樽方面に路線バスが出ていないに過ぎない状態である。小樽以東への直通運転に際しては、対バスと言うより、対マイカーで論じた方が良さそうではある。

 次に、余市駅から札幌駅方面に直通する列車のこれまでの経緯について触れる。昭和61年(1986)年に小樽回りの優等列車が廃止されて以降、小樽以東に直通する列車は一部の普通列車に限られていたが、朝夕のラッシュ時間帯を中心に札幌方面への直通需要の割合が高い状況から、JR北海道は「キハ201系」という、電車と連結可能で電車と同等の走行性能を持つ車両を、小樽以西から札幌方面に直通する目的で製造し、平成9年(1997年)から営業運転に用いている。この車両が登場する以前の直通列車は、余市を6:56に出発し、札幌に8:21に到着しており、小樽以東では一部の駅を通過していた(南小樽、小樽築港、銭函、手稲、琴似、桑園のみ停車)が、新型車両を投入し余市7:05→8:20札幌と、途中停車駅を7つも増やし、小樽以東を各駅停車にしたにも関わらず10分もスピードアップしている。小樽以東への需要の割合の(朝夕通勤ラッシュ時の)大きさを当のJR北海道が認識し、他の車両の倍(4億円/両)ともいわれる高額な車両を新製してまで、あえて直通列車を廃止しない選択肢を取った証左であろう。ブロック会議の資料で提示されたOD表において、余市との間のODが、小樽よりも小樽以東(明言はされていないが、おそらく大半は札幌)までの方が多いことにも、その性質が現れているものと考えられる。このような状況下で、第三セクター鉄道が小樽駅を境に分断される前提で資料が作成されているのは、余りにも不自然と言わざるを得ない。以下、第三セクター鉄道が小樽以東に直通する場合に追加で発生する費用に関して、具体的にどのような方法で直通するかで場合分けしつつ記載していく。

図2:長万部~小樽のOD表。小樽までの需要よりも、小樽以東への需要の方が多い。

 まず案1として、現行のブロック会議の資料に見られるように、H100形(北海道内の普通列車用の新型車)をベースにした車両を使用する場合を考える。また、キハ40形(これまで北海道内の普通列車で用いられてきた旧型車)を使用する場合を案2とする。車両の検査をJRに委託することを考えると、ノウハウの現存するこれらの案の実現性が最も高いと考えられる。

 ところで、札幌駅に乗り入れる普通列車の中で(電車ではなく)気動車なのは(非電化区間への送り込みを除くと)函館本線の小樽以西のみであり、この区間を三セク転換すると気動車として運転する必要が無くなる。気動車と電車とでは運転に必要な免許の種類が違うため、JR北海道側にしてみれば、この区間で気動車を運転するための費用(主として人件費)が三セク側からの乗り入れで発生する以上、小樽以東に乗り入れるための人件費等を、三セク側が負担する必要が生じる懸念がある。これに対する答えであるが、「ハイブリッド列車」運転免許は電車か気動車か(2020/01/09付東洋経済オンライン)の記載によれば、電気式気動車は電車の免許、気動車の免許どちらでも運転できる。案2のように旧型の気動車を用いると、気動車の札幌駅乗り入れコストを三セク側が負担することが確実なため、この点で不利が付いてしまう。もっとも、案1で小樽以東をJR北海道の社員が運転して経費を相殺しようにも、相殺相手である車両をJR北海道管内のどこかからいちいち(例えば、本数に余裕がある昼間に)持って来ることになるので、運転経費が三セク持ちである状況にあまり変化がないようにも見受けられる、が。

 ところで、なぜキハ201系が電車並みの性能を要求されたのだろうか。小樽以東の区間では朝ラッシュ時に各駅停車が約5分間隔で走行しているだけでなく、手稲駅(札幌運転所)から多数の回送列車が札幌駅に向かっていて、遅い列車の存在がそのまま輸送力の足を引っ張るためと考えられる。キハ201系が登場した頃のダイヤでは、手稲方面から7:30~9:00の間に札幌駅に到着する普通列車に対し、快速エアポート号並みの性能(721系・731系)を要求し、足が遅いだけでなくドアが少なく乗降に時間のかかる711系をそれ以外の時間帯に振り分けることで、朝ラッシュ時の輸送力を何とか確保していたのである。また、この直通列車には小樽駅で電車を増結する便(913列車、倶知安6:20→7:22小樽7:33→8:18札幌)が存在するのだが、札幌駅に到着する普通列車の多くが6両編成なのに対し、直通列車の需要が6両を満員にするほどの大きさではないことが原因として考えられる。もっとも、電車と気動車の連結は全国で見ても極めて珍しく、電車と気動車の両方の免許を持つ乗務員を必要とする(らしい)特殊な運用であることから、この方法を三セク分離後に取ることは困難と言わざるを得ない。とはいえ、小樽以東への直通運転に際する制約条件として、過去キハ201系を開発する際に要求された性能を頭に置くことは悪くないと考え、あえてこの案に混ぜ込む形で記載した。

 余市駅から札幌駅に向けて直通列車を出すとして、それがキハ201系のような「小樽駅で増結する」方法が取れず、かつH100系やキハ40のように電車と比べて速度の低い車両を用いざるを得ない場合、既存の普通列車を減便しない範囲で設定するには「途中駅を通過し、普通列車と普通列車との隙間に入れる」しか方法が無い。それを具体的に検討したのが図3である。

図3 直通列車検討図(平成12年3月改正ダイヤに対し一部加筆修正)

 この図は、少し昔の913列車(余市7:05→7:25小樽7:35→8:20札幌)を、既存の普通列車と普通列車との間に入れて代替することを想定して作成している。図中の3884Mは、実際は小樽駅を10:15に発車するのだが、913Dの小樽到着の1分後に発車するよう平行移動し、余市→札幌の直通列車の速達性(余市→札幌で55分)を目立たせるためにあえて入れたものである。
 913Dの機能を足の遅い直通列車で代替するためには、(図3で言う)3864Mと913Mとの間、913Mと3864Mの間、3864Mと123Mの間か、どれかに入れることを想定すれば良いように見える。しかし、いずれも手稲からの回送列車か札沼線の上り列車かのどちらかが挟まっていて容易に入らないように見える。回送列車はともかく、札沼線の上り列車とは線路が別なので一見ぶつからないように見えるのだが、到着ホームの組み合わせによっては、札沼線の上り列車と交差してしまうため列車を設定できないのである(※913Mは札幌駅7番線着なので「設定できる」が答えなのだが、札幌駅の構内作業ダイヤが制約だらけになるので好ましい答えではない)。
図4 札幌駅に入線する小樽発の普通列車。この状態では、札沼線の上り列車は札幌駅に同時進入できない。

 筆者は過去に何回も「札幌駅の配線について考えてみる」と題して記事を起こしているが、この中で鉄道・運輸機構が提案した配線改造案を使っていれば、上記の状況が大幅に改善されていたと思うと実に無念でならない。

図5 北海道新幹線札幌駅のホーム位置に関して議論する際、鉄道・運輸機構が出した案を実装したもの。札沼線上りと函館線下りの同時進入に関して、制約条件が大幅に緩くなっている。

 筆者が想定する限りだが、直通列車の設定に関して制約となるのは、車両性能よりも札幌駅での交差支障である可能性が高いと考えられる。仮に車両性能不足であれば、JR東日本の男鹿線や烏山線のように「余市駅構内だけ電化する」という方法や、七尾線のように直流電化するという方法も考えられるだろう。余市まで交流電化する選択肢をあえて挙げなかったのは、全線を交流電化するには、既存のトンネルの高さが不足している可能性が否めないからである。
図6 七尾線(直流電化)で宝達川をアンダーパスする箇所。

図7 蘭島~塩谷に存在する忍路トンネル。高さの制約は図6以上に厳しいように見える。

図8 駅付近「だけ」が電化された烏山線烏山駅。

 本来であれば、「H100形」「キハ40」「キハ201系」「七尾線」「男鹿線」を比較検討した一表を作成して結論を出すべきなのだが、上記の中身を見る限り、「現在の検討案で車両がH100形である限り、直通列車の可能性が無くなったわけではない」「直通列車の小樽以東の人件費は三セク持ちである可能性が高い」「直通列車の設定には、札幌駅構内の作業ダイヤがむしろ制約になる」状況から、いちいち表を作ることは避け、現況のH100形案を踏襲する形で今後も議論することにする。
 
 結果として現在のブロック会議の案と同じになり、一見このような文章を起こすことには何ら意味が無いように見えるが、このような文章化を当方でわざわざ行う理由は、決定の根拠を可能な限り明らかにしておくことで、後世に禍根を残さないためである

冒頭で、鉄道を残す理由として以下の3つを挙げたが、①について具体的に書いただけで大幅に文章量を食ってしまったので、②③については機会を改めることにする。

① 札幌や新千歳空港といった大需要地に対する利便性、速達性

② 通勤通学時間帯の需要が大きく、バスが輸送力不足に陥る懸念がある

③ 鉄道の定期券(特に、通学)の割引率の高さ(≒安さ)


 追伸 ダイヤのパターン化や高頻度化に関しても詳述する予定であったが、ブロック会議の資料は「高頻度化すると経費が増えてかえって赤字がかさむ」という内容となっているため議論を避ける。またパターンダイヤ化については、JR北海道管内でも実施事例がある(平成7年ごろの富良野線。キハ150形の投入で実現可能となったもので、旭川駅でスーパーホワイトアローに10分以内で接続する、当時としては画期的なダイヤと思われる)ものの、乗客増につながった痕跡が全く見られない。パターンダイヤ化は、沿線自治体の協力や利用推進策と一体化して初めて需要が増える可能性があると考えている。「単にダイヤをパターン化しただけで需要が増える」と言う意見に対して筆者は否定的である。

 


2021年11月23日火曜日

函館線(函館・小樽間)について(1)

  北海道庁では、北海道新幹線(新函館北斗・札幌間)の開業に伴い、北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)から経営分離される函館線(函館・小樽間)について、沿線15市町とともに「北海道新幹線並行在来線対策協議会」を組織し、地域交通の確保に関する検討を行っている。詳細は道庁のホームページに譲るが、このうち「後志ブロック」(長万部~小樽)については、「全区間の存続」「全区間の廃止」「余市~小樽のみ存続」の三案が俎上に乗っており、早ければ令和3年中に開催予定の第11回ブロック会議にて「方向性の確認」が行われる見通しである。

 ところで筆者の手元には、「有珠山噴火 鉄道輸送の挑戦(平成13年3月26日 北海道旅客鉄道株式会社)」という書籍がある。いわゆる山線(長万部~小樽)が、輸送の大動脈として活躍した最後の機会である平成12年(2000年)3月下旬~5月を記録・取材した書籍であり、端的に言って非常に価値があると言える。にも拘わらず、すでに発刊から20年の月日が経っており、入手自体が困難である状況である。今回は、同書からの引用を中心に、当時の状況を読者の皆様と共有するとともに、山線の存廃議論に資する部分を取りまとめ考察することを目的に筆を進めることにする。

※今回記事において、書籍名を省略しページ数のみ記載されたものは、上記「有珠山噴火 鉄道輸送の挑戦」からの引用であることをあらかじめお断りする。また、暦年を省略したものは、断りの無い限り平成12年(2000年)とする。

図1 本書裏表紙側の付録である「No.3 函館線列車ダイヤ 平成一二年三月一一日改正 12.4.1」から、長万部~小樽のみ抜粋の上、臨時列車を追加した上で電子化した図

 まず、この書籍の一大付録である当時の手書きダイヤ図を、当方でOuDiaを用いて電子化したので、これを最初に紹介したい。有珠山付近で大きな地震を最初に観測したのが3月29日17時22分であり、31日13時07分の有珠山噴火を経て、4月1日に(ほぼ)この形で施行するまでに僅か2日程度の猶予しかない。当時のJR北海道の対応の速さには驚くばかりであるが、同書P14曰く「これは、JR発足後初めて山線迂回運転を行った1999(平成11)年の礼文浜トンネル崩落事故を経て実施した危機管理体制の見直しの成果である」とのことである。

 ところでこのダイヤ図では、迂回臨時特急が定期6往復+臨時2往復(4/17以降追加)、夜行列車が3往復、貨物列車が3往復+2往復(4/17以降追加)と、非常に大きな本数上の制約を受けている上、ところどころ定期列車である普通列車と駅以外の場所で交差している。この状況は、柿沼博彦鉄道事業本部長の巻頭記事にて以下のように説明されている。「唯一の可能性は、地元沿線のお客様のご協力をいただき、ローカル列車すべてをバス代行輸送とし、確保できる最大本数の特急列車、貨物列車を動かすしかなかった。幸い、異常事態、緊急事態であることをご理解いただき、沿線利用者をはじめ支庁、町村の皆様にはこころよくご協力をいただけたことは、いまでも忘れられない。」一方で、同書には普通列車の運休状況が正確には記されておらず、バス代行輸送があったかどうかの手掛かり(例えばP47下部)の記載にとどまっている。また、当時を記録した動画の一部には走行する普通列車が映っており、本当に全列車が運休したのかは疑問の余地がある。このため筆者は、図1のうち普通列車について、運転・バス代行・運休の三者に仕分ける作業を行った上で、図2のような形で整理した。

図2 普通列車を筆者の推測を基に運転(青(キハ201)、ラベンダー(キハ150)or黒(キハ40))、代行バス(緑)、運休(灰)に仕分けたもの。代行バスの本数はP47の列車番号通りとし、運転時分は列車のままとした。
 普通列車の運転の有無は、特急列車が普通列車との行き違いで運転停車しているかどうかや、車両の数の辻褄合わせから判断している。バスの車両数の辻褄が合っていないが、おそらく小樽駅から長万部駅方面に向かって毎日のように回送バスが走っていたものと推測できる。北斗65号と67号との間、62号と64号との間に大きな隙間があり、普通列車の1本くらいなら入りそうに見えるが、夜間の線路容量は貨物列車に埋め尽くされており、昼間に保守間合いの時間を確保するために、あえてこのような隙間を設けたものと推測できる

 この図を見る限りにおいて、旅客列車に関して言えることは、「倶知安以南は、結果的にバス代行出来てしまうのではないか」ことである。道立高校の越境(要するに熱郛~目名を跨ぐ)通学は例外として認められているものの、定員の10%までという記載がある以上、両駅をまたぐ需要が鉄道を必要とするほど大きくなるとは考えにくい。また、「あえてバス代行しなかった、出来なかった」スジも何本かあるように見えるが、いずれも倶知安~小樽の朝方の需要に限られているし、倶知安以南からの通学に使われたはずのスジ(要するに3929D)はバス代行されていて、バスの定員(P49の写真から推測する限り29人)に収まる程度の利用しか無いことが推測できる。ただし、同時に得られる疑問点として、「現在存続が議論されている区間を、余市~小樽に限定して良いのか」というものも考えられる。というのも、仮に倶知安~余市にバス1台で代行できるほどの通学需要しかないのであれば、1928Dのうち倶知安以北(小樽6:12→7:50倶知安)はバス代行されていても何ら不思議ではない。さらに上記の通り、ダイヤ上でバスの数の辻褄が合わず、小樽からバスをいちいち倶知安方面に回送している状況であり、1928Dがバス代行出来るなら、上記の回送を兼ねることも出来たはずである。

 現状、倶知安高等学校は1学年約150人程度の規模であり、一方で倶知安中学校は1学年約120人の規模であるから、域外からの越境通学は相当に少ないものと推測できる。なお実際の数値であるが、第10回後志ブロック会議の参考資料(PDF2MB)の資料曰く、倶知安駅への通学需要はむしろ蘭越、ニセコ駅からの方が多く発生しているようである。平成12年当時は、本州からの寝台列車と時間帯が重なる3929D列車(長万部6:12→7:51倶知安)をやむを得ず運休・バス代行し、輸送力が不足した場合は、始業より大幅に早い3925D列車(蘭越6:20→6:57倶知安6:58→札幌8:58)を用いて輸送していたものと思われる。

 要約すると、「山線迂回運転時は、倶知安以南はほぼ全てバス代行としていたが、倶知安駅への通学需要は蘭越方面からの方がむしろ多いと考えられる」ということである。

図3 第10回後志ブロック会議の資料より抜粋
図4 図3同様抜粋。OD表をここまで具体的に公にした資料は珍しいものと考える。

 さて、貨物列車に話題を移すと、本数が1日5往復に限定されている。図示はされていないが、交換設備の関係で列車の延長が制限され、DD51重連+コキ10両の編成までしか充当できなかった、との記載もある。迂回運転以前の段階で、定期貨物列車だけで18.5往復、コンテナ車の両数にして20両を超えるほどの需要を、1日5往復、コンテナ車10両の列車だけでは到底賄いきれない。実際のところ、「五稜郭貨物駅~札幌貨物ターミナル間のトラック代行輸送(3/29開始)」「苫小牧港から青森港の船便導入(4/1開始)」「長万部駅に仮設コンテナ積卸場を設け、五稜郭~札幌のトラック代行輸送の一部を、一日で2往復できる長万部~札幌に短縮(4/21開始)」(P28-29,P39-40)等、貨物輸送はトラックや船等、鉄道以外の協力を得てようやく凌いでいる。山線の存廃議論のたびに、有珠山の噴火について触れる指摘が散見されるが、新幹線開業までの間に仮に有珠山が噴火したとしても、貨物需要を賄えるほどの線路容量はとても確保できないし、新幹線が開業して主たる旅客列車が新幹線に移行して以降は、ほぼ貨物列車だけのために、域外の沿線自治体が費用負担してまで線路を保有する理由が無い(第10回会議の議事録P1曰く、国、道庁いずれも、鉄道施設の保有には否定的であるのが決定的である)。

 「有珠山噴火 鉄道輸送の挑戦」は、当時の状況を克明に記した書籍であると同時に、普通列車の需要、貨物列車を走らせる上での輸送力の両面から、皮肉にも「長万部~小樽の全線鉄路存続は極めて厳しい状況である」ことを示している。平成12年の6月には目名駅に交換設備を増設している一方で、倶知安駅の交換設備は本年撤去されており、この状況に拍車をかけているようにも見受けられる。「前回昭和52年に大噴火した際の対策・取組等の記録が無く、今回(編注:平成12年)の事態に生かすことが出来なかった教訓として」(P111編集後記)生み出された同書が、結果的に「(北海道新幹線開業以降の)長万部~小樽の全線鉄路存続は極めて厳しい」ことを示している実態は皮肉と形容せざるを得ないが、新幹線開業後の公共交通計画を形成する一助となれば幸いと考え、あえてこのような形で取りまとめることとした。

 なお、部分的な鉄路存続を論じる上で、現況のOD表や平成12年当時の山線迂回ダイヤを見る限り、仁木~余市及び蘭越~倶知安(~仁木)が俎上に乗っても一見不思議ではないように見受けられる。特に仁木~余市については、第10回会議の議事録内で、仁木町長から「地域住民の感情として、余市・小樽間でできるのであれば、仁木もできるのではないかと淡い期待を持つというのも事実」という発言があるのが印象深い。現在の仁木駅に交換設備が無いのは、昭和61年に山線の(現在の)棒線駅から交換設備を撤去する際、然別・余市の両駅に近すぎるのを理由に選定されたというのが実態だろう。この一件については機会を改めて筆を起こすことにする。

2021年5月7日金曜日

緊急事態宣言下の列車運転計画について(2)

  本日5月6日(木)も、JR東日本は首都圏の一部の路線について、朝ラッシュ時の減便を行った。しかし、この日の混雑は4月30日のもの(前回記事)よりも激しく、マスコミでも多数取り上げられた模様である。これを受けてか、明日5月7日(金)について、JR東日本は首都圏各線の減便を取りやめる旨を明らかにした、という状況である。本稿では、本日の遅延実績を四直運用資料室及びJR東日本アプリの混雑状況画面を用いて明らかにすることを目指す。

 では早速、本日朝の列車運転実績について、画像形式でご覧いただきたい。


図1: 令和3年5月6日 山手線運転実績(抜粋)

図2: 令和3年5月6日 京浜東北線運転実績(抜粋)

 まずは、偶然筆者が巻き込まれた「7時15分ごろ、有楽町駅付近で発生した非常警報装置の作動」に着目したいと思う。京浜東北線は付近の電車がほとんど間引かれていないが、同時間帯にちょうど有楽町駅にいた605G列車は、前の列車が1本間引かれている上に、他の列車と比べても乗車率が高い(図3参照)。この有楽町駅での列車の抑止は、間引き運転を直接の理由として引き起こされた可能性が非常に高いものと推測する。
図3: 有楽町駅での列車抑止発生直前(7:10頃)の混雑状況

 
図4: 山手線(混雑率付加)・京浜東北線運転状況図(抜粋)

 しかし、上記の05G列車だけに混雑が偏った理由は謎である。確かに直前のスジは間引かれているが、混雑の主たる要因である、上野以北の各駅からの乗客は、すぐ横を走る京浜東北線のスジ(17A)に分散してもおかしくないはずである。上記のサイトから取得した運転状況から、05Gと17Aがどちらが先に到着・出発したかまでは読み取れなかったし、当方で京浜東北線の混雑率まで取得しなかったので確証は持てないが、両者間で乗客を融通出来れば、混雑がここまで極端に偏らなくて済んだ可能性はある。

 図4をご覧いただくと分かる通り、7時台後半になると、間引き運転が直接の理由かどうか不明な遅延が多発している。これでも、大崎駅始発の39Gを、上記の理由で大きく遅れた05Gが品川に着くまであえて発車させなかったり、所定の列車順序を変えない範囲で混雑を偏らせない工夫は散見される。一方、39Gの直前の大崎始発である37Gは、大崎を発車して以降、新宿駅まで走り去ってしまい、39Gとの間隔が大きく空いてしまっている。間隔が不均等になってからどこかしらの駅(今回の場合、新宿)でわざと長時間停車させるまでの間に15分近く要しており、運転整理自体が追い付いていない可能性が示唆される

 図4で示した7時台後半の時点で、すでに混雑の理由が間引き運転に起因するかどうか、判別が困難な状態になっており、マスコミが大混雑を報じる際に使っていた、8時半頃のライブ画像は、混雑が何を理由に引き起こされたかは何とも言えない。もっと前の時間帯から間引きを理由に列車間隔が歪になっていたし、運転整理がうまくいかず、さらに混雑が偏ったのも事実である。そもそも、この程度の混雑は、多少列車が遅れれば、日常的に発生していたようにも見受けられる。前回記事で指摘したように、小規模な遅延に対する運転整理が総じてうまくいっておらず、その一因として、大崎・池袋始発の列車を、遅れた定期列車よりも先に出すことが出来ていない」があることは否定できない筆者としては、遅延の理由は「間引き運転」「運転整理の課題」の両方にあると受け止めているが、マスコミの報道等を見る限りでは、後者を指摘する意見は皆無であり、乗客も概ね「間引き運転が原因である」と受け止めている様子である。
 
 ところで、6日昼の時点で「7日の間引き運転を取りやめる」という報道発表があったが、前日昼に突然列車を増やすのは、乗務員等を確保する都合上、極めて困難であるはずである。筆者の推測だが、7日は間引き運転を取りやめる(通常ダイヤに戻す)ことを、間引きダイヤを最初に実施した4月30日の時点ですでに織り込み済みで、間引く予定だった列車の乗務員は、あらかじめ確保していたのではなかろうか。

 今回、行政側から半ば無理矢理な形で要請された間引き運転であるが、民鉄各社は、もともと利用の少ないスジを間引く、と言う方法で事実上無力化する方向で応じている(※特に、立場が立場であるにもかかわらず、他社との直通列車のある路線で一切間引き運転を行わなかった都営地下鉄には「男気」すら感じる。)。これに対し、あえて間引き運転に応じたJR東日本は、「感染拡大防止のためという理由で、通勤電車を間引くのは誤りである」というコンセンサスを形成するのに成功したのではないだろうか。このために、自社の運転整理が(他の民鉄各社と比べて明らかに)劣っていることすら利用していたとすれば、筆者は脱帽せざるを得ない。

 最後に唐突であるが、10年前に実施された計画停電、及び電力使用制限令に際して、鉄道各社が半ば無理矢理要請される形で間引き運転を実施した際を想起しつつ、以下の文言を添えて筆を置きたいと思う。

 あるべき感染拡大防止の概要は、(1)通勤需要の減、(2)列車間隔の最小限の延長、(3)列車の削減の順で、いきなり列車削減を論じるのは大変大きな誤りである。


曽根悟:長期的節電要請に対する電気鉄道のモデルチェンジの提案,JREA, Vol.54 No.9,pp36253-36260,2011





2021年4月30日金曜日

緊急事態宣言下の列車運転計画について(1)

  本邦では3度目となる緊急事態宣言(令和3年4月25日から同5月11日まで)の発出に起因して、首都圏を走る列車に対する減便要請が行われた。これを受け、主としてJR東日本の朝夕時間帯を中心に、4月30日(金)、5月6日(木)、5月7日(金)において列車の削減が行われた。対象となった線区は、他の路線との直通運転の比較的少ない路線に集中しているが、このうち山手線について、間引き運転の前後で比較できる形で、ダイヤグラム形式で整理したのが図1である。

図1:令和3年4月30日山手線列車運転計画図(抜粋)

 この図を見る限り、「朝ラッシュ終了後に大崎に入庫する運用を集中的に運休させている」ことが伺える。筆者がこのダイヤを初めて見た際の感想は「さもありなん」といったところだが、よくよく考えてみると、等間隔で運転している列車を1本間引くのであれば、乗車率を半分以下に抑えない限り、その1本後の列車が混雑するのは自明である。いくら連休中日で乗車率が比較的低いとはいえ、乗車率が半分にまでは落ちない、ということであれば、本来であれば間引いた直前のスジを後ろ倒しすべきである。とはいえ、今回の急な要請を受け、急に間引き運転を行う以上は、そこまで入念に準備できなかった、というのが実情ではなかろうか。

 さて、いざ4月30日の朝7時を迎えると、すでに間引きとは関係ない理由で遅延していた。池袋駅付近で埼京線に起因する防護無線を拾ったためと聞いているが、この影響で列車間隔はラッシュが終わるまで歪なままであった。図2は、https://nkth.info/traffic_info/から画像形式で抜粋した、同日の山手線の運転実績である。

図2:令和3年4月30日山手線運転実績

  筆者は概ね午前8時ごろまでの間、現地で様子を見ていたので、JR東日本アプリの「混雑情報」を織り込んだ形で(図3のように、同一時間帯のスクリーンショットをかき集める形で)ダイヤ図に再度整理した。
図3:JR東日本アプリのスクリーンショット(7:19頃)


図4: 令和3年4月30日の山手線運転実績(抜粋)

 着色した個所は、その時間帯の混雑率を表している。概ね、列車間隔の開いた後のスジが混む傾向にあることは、寺田寅彦氏によって大正時代から指摘されている事象である。
 間引き運転の影響を直接受けているのは、この図で言うと内回りの00G列車であり、内回りの駒込駅付近で混雑が観測されている。どちらかと言うと、普段と大して変わらない常磐線のダイヤよりも、平日ダイヤを土休日ダイヤに変更した日暮里・舎人ライナーの影響で、混雑する列車がやたらと固まったことも一因として考えられる(確証は無いが)。
 一方で、池袋駅付近で防護無線による遅延が生じた際、列車間隔が歪になっている。幸か不幸か運転再開は比較的早く、10分程度の抑止で済んだようであるが、その後の運転整理のやり方の影響で、運転間隔の平準化がうまくいっていない。
 外回りは渋谷付近で間隔調整を行っているにもかかわらず、大崎駅で始発列車を割り込ませる順序を変えなかった(大崎駅で、定時に出せる始発列車(例えば35G、定刻7:15)を、遅れた定期列車(17G、定刻7:12、この日は9分延)が来るまで出せなかった)影響で、列車間隔に濃淡が生じている。01G~17Gは間隔が疎で、所定の順序を守って17Gを待ってから始発列車を割り込ませた21Gまでは密である。21Gが大崎駅をやっと定時に出た後、その1本後にあるはずの始発列車(41G)が運休していたのですぐ後ろの07Gまでは間隔が空いてしまっている。なお、07Gは、8時ごろ2度目に高田馬場駅付近で二度目の防護無線が発報された際に付近にいた列車である。列車間隔の歪さが、二度目の防護無線発報を誘発した可能性は否定できない。
 なお同様の事象は内回りでも生じている。池袋始発を定期列車より先に出せなかったのは、運転見合わせに直接巻き込まれている以上ある程度致し方ないのだが、大崎始発(26G、定刻7:11始発)が、その前のスジ(66G、定刻7:08発、当日は8分延で7:16発)が出るまで発車出来なかった影響で、02Gと14Gの間に大きな隙間が空いてしまっている。これだけ大きな隙間が空いていて、よく何事も起こらなかったものだと思う。
 筆者がこのスジを打ち込んでいて驚いたのは、10年ほど前は1周60分、ラッシュ時でも62.5分だった山手線が、いまやラッシュ時で一周67分近く要していることである。しかし、この日のスジは全体的に定時より立っていて、半周で2分程度詰めているものも存在する。要するに、4月30日は全体的に駅の停車時間が短く、それだけ普段より乗客が少なかったことを示唆しているように見受けられる。
 
 長々と書いたが、今日の山手線の状況を見る限り、「間引きそのものと言うよりは、1度目の防護無線発報後の列車間隔調整に難儀し、結果的に混雑を誘発した」「大崎・池袋始発の列車を、遅れた定期列車よりも先に出すことが出来ていないことが一因である」ように見受けられる。

 緊急事態宣言下の列車運転計画やその実績は、あまりに急な対応を求められるため、10年以上経ってから当時の状況を知るのは困難である。こうした背景から、今後も「可能な限り」という但し書きは付くが、状況を記録するよう努めたいと考えている。