図1:時差Bizの公式ポスター |
まず過去に「時差Biz」に似た取り組みが無いか,その失敗原因は何か,という点に着目しよう。調べてみると驚くほど多くの取組があることに気づかされるのだが,今回はひとまず「ズレ勤」「北海道サマータイム」あたりに絞って検討してみようと思う。
「ズレ勤」に関して筆者がすぐに手に入れられる資料は「平成14年度オフピークキャンペーンについて」くらいである。ここで登場する「快適通勤推進協議会」の名が登場する資料のうち,
「規制改革・民間開放推進会議 土地住宅分野に関するヒアリング 国土交通省提出資料平成17年11月11日(金)国土交通省鉄道局業務課 (※リンク先PDF1.3MB)」は,資料の直接の目的には関連しないものの,内容に「時間差運賃により通勤時間帯の需要の分散を図ること」が挙げられていることは興味深い。このうち,通勤手当という形で実質的に運賃を負担している企業(≒使用者)側からの意見として,「既に可能な範囲においてフレックスタイム制や裁量労働制等の措置は実施しており、お客様対応、商慣習、労務管理上等の問題を勘案すると、これ以上始業時間を動かすことにより通勤時間帯を広げることは困難(フレックスタイム制等を導入している企業は約2割)」「通勤手当は実費で支給しており、ピークロードプライシングは企業にとってコスト増となる。」
といったものが得られている。また,企業に対して実施されたアンケートでは,「時間差運賃制実施時の対応行動については、ピーク時運賃を現行の1.3倍にするケースで勤務制度を変更するとした企業は約4%にすぎず、3倍とするケースでも変更するとした企業は約25%にとどまる。」といった結果が得られている。
「北海道サマータイム」では,「平成18年度サマータイム導入実験の実施結果について」にて,実施されたアンケートの結果が掲載されている。例えば,出勤時刻の繰り上げに関わらず退庁時刻が従来と同じになった理由として「仕事の相手方が、サマータイム対象者でないため帰りの時間が同じであった」などが挙げられている。
北海道では夏季時間帯の日の出時刻が,東京では想像のつかないほど早く(時期によっては3時台) ,かつ夏至が近づいても(東京ほど)曇天・雨天に当たることが少ないため,サマータイムの導入には適していると言えるし,寄せられた反対意見は時差Biz実施に際して参考になるはずである。現に時差Biz実施に当たって知事自ら(第1回快適通勤プロモーション協議会で)「このムーブメントを成功に導くためには、企業、鉄道利用者の皆さまにも同じ意識を持っていただき、一斉に取り組みを進めていくことが肝心」と述べている点は,過去の失敗を踏まえたものと言えるだろう。
さて,鉄道事業者,(時差通勤の旗振り役となる)役所側の立場について書いたところで,この取組に協力する側である企業側(以下,使用者)と従業員側(以下,労働者)それぞれにとってどのような負担が生じるか考察してみよう。そこで,まず以下の図をご覧いただきたい。平成27年大都市交通センサス首都圏報告書(PDF8.48MB)の98ページ,図Ⅲ-24から抜粋したものであるが,
図2:時刻別移動比率、始業時刻構成比(H27大都市交通センサス首都圏報告書より) |
これを参考に以下の表1を作成する。朝8時から9時にかけて,企業が始業済みである割合と比べて,従業員が出勤済みである割合の方が20%近く高いことが分かる。大雑把に言って5~6人に一人が,出勤時間帯より前に1時間サービス残業をしている計算になる。早出出勤を制度化することは,上記のサービス残業に対して残業代を払う(少なくとも,従業員から請求される)ことと等価であり,使用者が制度化に後ろ向きになるのも当然である。「早出残業」という概念は無いのか,という疑問も当然浮かぶであろうが,2013年頃に伊藤忠商事が朝型勤務を導入した際,早朝に超勤手当を認めた事例がもの珍しく報道されたあたり,最近ようやく権利として認められた概念である,と考えられる。翻って言えば,ほぼ大半の企業において,従業員が早出出勤をしても,残業として認められていなかったのでは,と推測される。
表1:時刻別移動比率(出勤済のみ),始業時刻構成比(積み上げ)
時刻 | 出勤済み従業員割合 | 始業済み企業割合 |
07:00 | 2% | 1% |
07:30 | 7% | 2% |
08:00 | 20% | 6% |
08:30 | 47% | 27% |
09:00 | 75% | 75% |
09:30 | 88% | 90% |
10:00 | 94% | 99% |
10:30 | 96% | 100% |
企業の使用者側に言わせれば,「通勤ラッシュの回避は,使用者が指示しなくても労働者側はすでに自主的に実施しており,出勤時刻を繰り上げても(混雑緩和に)大した効果が無いし,かえって残業代支出が増える」ということだろうか。この理屈からすると,企業の使用者側の立場では,「早出残業を認めず,出勤時刻を繰り下げる」 方が,実態として協力しやすいように思われる。
さて,これまでの議論は「残業代が全額支払われている」という仮定の下で行われてきたが, 残業代を踏み倒している企業や年俸制を採用している企業に関してはこの限りではない。こういった企業の使用者にとって,出勤時刻の繰り上げは特にデメリットにならない。つまり企業の使用者は,残業手当に関する自社の実績に合わせて出勤時刻の繰り上げ・繰り下げを使用者の都合のいいように選択できると考えられる。
これまで使用者の都合ばかり書いてきたが,企業の規模がある程度大きければ,社員の一定割合を早出・遅出出勤に振り替える,などして従業員の「ダイバーシティ」を尊重する選択肢を取ることも可能である。残業手当の問題も,早出・遅出それぞれの社員の割合をだいたい同じくらいに設定できれば,社にとってそこまで大きな問題にはならないであろう。ここからは,残業代の支払いという使用者側の問題がクリアできる比較的規模の大きい企業を対象に,従業員(≒労働者)が時差出勤に協力できない理由について考察してみたいと思う。
とは言っても,筆者はここで理由をあえて一つしか挙げない。それは育児に関わる時間制約である。以下,中学生以上の子供は自宅の鍵を閉めて自分で登校でき,小学校の多くは給食が支給されることから家事の負担が比較的少ない,と勝手に仮定し,未就学児の子供を持ち,両親共働きの家庭に絞って議論を進めていく。
まず,幼稚園には夏休み・冬休みがあり,(義両親との関係性が良好な場合は別として)これらの時期に共働きを維持することが難しいため,議論の的は事実上保育園一つに絞られるだろう。ここで,保育園の開園時刻をご覧いただきたい。東京都世田谷区と同北区を例示するが,両区いずれにも,朝7時より前に開園している保育園は無い。時差Bizの実施に伴って出勤時刻を繰り上げようにも,保育園が開園しておらず子供を預けられない,というのはかなり致命的な問題である。前回記事で「早朝時間帯に列車を増やせ」などと以下の図3を作ってまで主張した割には,早朝時間帯の列車ということで朝7時には都心に着いてしまい,保育園の開園時間帯と相性がとても悪いことに気づかされる。
無駄に大きなダイヤ図を挟んだところで,この問題に対するアプローチの方法は大きく分けて二つあるだろう。一つは「夫婦での分業」,もう一つは「オフィス直結の保育園(以下,託児所)」である。
夫婦での分業は,簡単に言うと父母の出社時刻をあえてずらし,「出社の遅い側が子供を保育園に預け,早い側が引き出す」というものである。比較的混雑の激しい時間帯を男性が担当すれば,N+1人目を身ごもった女性との分業も比較的スムーズだろう。そういった意味で,社内結婚の方が時差出勤に関する理解を得やすいと思わないでもない
一方託児所と言う案は,そういった設備を持つ企業に対象が限られるが,効果はかなり大きいだろう。というのも,託児所に通わせる場合,子供の電車賃はかからない(≒通勤手当の範囲に収まる)。また,父親が担当すれば母親が弟妹を身ごもっていても影響は小さい。ただし,子供が車内で騒ぎ出す可能性や,ベビーカーが場所を取ることを考えると,比較的年齢の高い子供が現実的,と考えられる。
小学生に満たない子供が朝の通勤電車で一方の親と一緒に通勤(?)する姿を観測することがあるが,そのODはかなり高確率で蒲田・大森・大井町→東京である。不思議なことに東海道線ではほとんど見かけない(ディズニーランドに遊びに行くと思しき親子の方がはるかに多い)し,京浜東北線の新橋で下車する乗客の中にもまず見かけない。あまりにも朝が早すぎる・移動が長すぎると子供がついて来られない,という事情なのか,新橋の企業と東京の企業の間で取り組みに温度差があるのか,偶々なのか,真相は果たして…?
長ったらしく書いたが,鉄道事業者が仮に早朝に増便したと仮定して,それでも時差出勤に協力できない事情に関して推測を試みた。使用者側の都合に「残業代支出」があり,それがクリアできる比較的規模の大きい企業であっても,労働者側の都合に「保育園の開園時間」があるのでは,ただこれを書きたかっただけである。
内容の長さの割にあまり実りが無かった気がするので,この事前考察はこれで終わりとし,今後の時差Bizの動向を見守ろうと思う。
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