2023年3月21日火曜日

北海道ボールパークへの交通アクセスについて(2)

  前回記事を投稿して以降、北海道ボールパーク付近に設置する新駅設置費用の高騰に伴い、位置をずらす選択肢について報道があった(JR北綿貫社長 新球場隣の新駅、「場所をずらすことも含め検討」…費用の増大に北広島市議会が難色を示し)。これを受けて、西の里信号場が俄かに話題に上がったこともある(例えば「西の里信号場復活か…?」)。筆者としては、西の里信号場とボールパークとの距離が約2㎞もあり、北広島駅とさして変わらない位置に新駅を作る意義が薄いようにも思えるが、ボールパーク新駅の機能のうち、列車の追い抜きを西の里信号場に持たせる選択肢までは否定できないと考える。

 本稿では、西の里信号場が機能を開始した平成4年(1992年)頃の計画にに立ち戻り、なぜこの信号場を設置したのか、推測を試みることにする。

 まず早速だが、千歳線の配線図が現況とほぼ同じ形になった平成6年頃の配線図及び当時考えていたであろう用途を図示する。

 

図1:平成6年(1994年)ダイヤ改正時点での千歳線の配線概略及び想定用途図

 平成6年といえば、スーパー北斗がデビューした時期であり、JR北海道が千歳線での特急列車高速化に対し、最も意欲的であった時期と言って差支えなかろう。この頃すでに、711系を千歳線の普通列車から(朝ラッシュ時を除き)撤退させるなど、千歳線の輸送力を限界まで高めようという方針が垣間見える。一方で、貨物列車はDF200形ディーゼル機関車の生産が始まったばかりで、すぐには貨物列車を高速化できる状況ではなかった。このような状況下で、千歳線に副本線を持つ駅を増やす計画を立てたということは、特急列車(スーパー北斗)と貨物列車との速度差が最も大きかった時期に立案されたと言えよう。当時の速度差を可能な限り再現するとともに、それを当時のダイヤパターンに落とし込むことを念頭に置いて作成したのが図2である。

図2 平成6年(1994年)当時の、各待避設備の用途を想定するための仮想ダイヤ。

 図1は、図2の16時15分ごろ及び16時45分ごろを念頭に作成した図である。特急列車(青色)と貨物列車(一点鎖線)との間の速度差は、特に新札幌~北広島で顕著に発生していることが見て取れる。新札幌→北広島の約11kmを、特急列車(※当時は、新札幌駅を通過)は約5分半(平均120km/h)、貨物列車は約13分(平均50km/h)かけて走行することとなり、これだけ大きな速度差と所要時間差とを念頭にダイヤを組む苦労が偲ばれる。このような状況下では、上野幌~北広島の8kmにも及ぶ駅間に、信号場を設置したいという発想は決して不自然ではないだろう。
 一方で、信号場を増設するにあたり、どの信号場にどの役割を持たせるかは、様々な選択肢が考えられる。図3は、昭和60年頃(1985年頃)を念頭に、図1と同様の配線図として作成したものである。

図3:昭和60年(1985年)頃を念頭に作成した千歳線の配線図(一部推測を含む)。

 昭和60年の時点で、北広島駅の線路附番規則は現在(札幌方面が3・4番線)とは反対向き(札幌方面が1番線)であった上、現1番線(当時の4番線)はまだ無かったのである。北広島駅の現3番線(当時の2番線)が、上下線どちらからでも出入りできる構造になっているのは、現1番線増設前の名残と考えられる。
 上野幌~北広島に信号場を増設するにあたっては、上下線どちらも(貨物列車が入線できるほど長い)待避線があるのが理想ではあるが、北広島駅は現1番線を増設したばかりであるがために、西の里信号場の副本線(苫小牧方面)が電車6両分程度の短い待避線にとどまったものと推測する。一方で、白石駅の副本線が札幌方面の列車のみに割り当てられている関係で、上野幌駅の副本線をなるべく苫小牧方面の列車に割り当てたいがために、西の里信号場の札幌方面の副本線の有効長は長く取られているものと推測する。
 
 ここまで、西の里信号場の設置当時の経緯を、少しでも具体的に推測することを試みてきた。生まれ変わったばかりのJRが、ある意味で景気が良く勢いのある時代に設置した設備であると言って差支えないだろう。

 さて、2013年に大沼駅構内で発生した貨物列車の脱線事故を契機に使用頻度の低い副本線が使用停止され、西の里信号場もその対象となったものと思われる。リンク先の写真がその状況を物語っているが、2017年4月の時点で、分岐器が撤去されているようである。一方で、筆者が過去に起こした記事「札幌駅の配線について考えてみる(4)」曰く、2017年6月の時点で、快速エアポートを毎時5本に増発するための車両発注計画はすでにあったようである。2017年の春の時点で、上野幌~北広島に新球場を設置する計画がどこまで具体化していたか、それをJR北海道に相談していたかどうかは、新駅の費用負担を論じる上で重要な分岐点である。一方で、日本ハム球団が新球場構想のための具体的な検討に入ったのは2016年12月である(2016年12月19日付スポニチアネックス記事)。その直後に、北広島市が日本ハム球団に対し新駅の設置を含む新球場計画を提案している(2016年12月20日付北海道新聞記事(写し))。
 上記の通り、「快速エアポートの毎時5本への増発」「日本ハム球場の北広島への移転案の浮上」「西の里信号場の副本線撤去」はほぼ同時に発生したものと思われる。従って、これらの時系列を外部から正確に把握することは事実上困難である。とはいえ、新球場を北広島市に移転することが決まったのはその1年以上後であるから、この時点で先に決まっていた西の里信号場の副本線撤去及びエアポート毎時5本化を踏まえ、その差額(ボールパーク新駅の設置+北広島~白石のどこかへの待避設備設置)に相当する費用を原因者(球団ないし新球場を誘致した自治体)が負担するのは、自然なことではなかろうか。

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