前回記事を投稿して以降、北海道ボールパーク付近に設置する新駅設置費用の高騰に伴い、位置をずらす選択肢について報道があった(JR北綿貫社長 新球場隣の新駅、「場所をずらすことも含め検討」…費用の増大に北広島市議会が難色を示し)。これを受けて、西の里信号場が俄かに話題に上がったこともある(例えば「西の里信号場復活か…?」)。筆者としては、西の里信号場とボールパークとの距離が約2㎞もあり、北広島駅とさして変わらない位置に新駅を作る意義が薄いようにも思えるが、ボールパーク新駅の機能のうち、列車の追い抜きを西の里信号場に持たせる選択肢までは否定できないと考える。
本稿では、西の里信号場が機能を開始した平成4年(1992年)頃の計画にに立ち戻り、なぜこの信号場を設置したのか、推測を試みることにする。
まず早速だが、千歳線の配線図が現況とほぼ同じ形になった平成6年頃の配線図及び当時考えていたであろう用途を図示する。
図1:平成6年(1994年)ダイヤ改正時点での千歳線の配線概略及び想定用途図 |
平成6年といえば、スーパー北斗がデビューした時期であり、JR北海道が千歳線での特急列車高速化に対し、最も意欲的であった時期と言って差支えなかろう。この頃すでに、711系を千歳線の普通列車から(朝ラッシュ時を除き)撤退させるなど、千歳線の輸送力を限界まで高めようという方針が垣間見える。一方で、貨物列車はDF200形ディーゼル機関車の生産が始まったばかりで、すぐには貨物列車を高速化できる状況ではなかった。このような状況下で、千歳線に副本線を持つ駅を増やす計画を立てたということは、特急列車(スーパー北斗)と貨物列車との速度差が最も大きかった時期に立案されたと言えよう。当時の速度差を可能な限り再現するとともに、それを当時のダイヤパターンに落とし込むことを念頭に置いて作成したのが図2である。
図2 平成6年(1994年)当時の、各待避設備の用途を想定するための仮想ダイヤ。 |
図1は、図2の16時15分ごろ及び16時45分ごろを念頭に作成した図である。特急列車(青色)と貨物列車(一点鎖線)との間の速度差は、特に新札幌~北広島で顕著に発生していることが見て取れる。新札幌→北広島の約11kmを、特急列車(※当時は、新札幌駅を通過)は約5分半(平均120km/h)、貨物列車は約13分(平均50km/h)かけて走行することとなり、これだけ大きな速度差と所要時間差とを念頭にダイヤを組む苦労が偲ばれる。このような状況下では、上野幌~北広島の8kmにも及ぶ駅間に、信号場を設置したいという発想は決して不自然ではないだろう。
図3:昭和60年(1985年)頃を念頭に作成した千歳線の配線図(一部推測を含む)。 |
昭和60年の時点で、北広島駅の線路附番規則は現在(札幌方面が3・4番線)とは反対向き(札幌方面が1番線)であった上、現1番線(当時の4番線)はまだ無かったのである。北広島駅の現3番線(当時の2番線)が、上下線どちらからでも出入りできる構造になっているのは、現1番線増設前の名残と考えられる。
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